親が施設に入っていて歯科医院まで連れて行けない。入れ歯が合わなくなったが、本人が外出を嫌がる。介護をしている方から、こうした相談が寄せられることは少なくありません。歯科医師や歯科衛生士が自宅や施設に出向いて診療を行う「歯科訪問診療」は、そうした場面で使える仕組みです。
ただ、どなたでも使えるサービスというわけではありません。保険が適用されるかどうかには明確な条件があり、そこを外すと全額自己負担になります。また、費用の内訳も通院とは少し違う組み立てになっています。
この記事では、歯科訪問診療の対象者の条件、費用の考え方、依頼から診療開始までの流れをまとめました。制度の記載は2026年8月時点のもので、診療報酬・介護報酬の改定にあわせて見直されます。運用や料金は地域・医療機関によっても異なるため、実際に利用する際は必ず依頼先の歯科医院に確認してください。
歯科訪問診療とはどういうものか
歯科訪問診療は、歯科医師や歯科衛生士がポータブルの診療機器を持って患者のもとへ出向き、診察・治療・口腔ケアを行うものです。「往診」という言葉で説明されることもありますが、制度上は定期的・計画的に訪問する診療を指すのが一般的です。
実際にできること
- 虫歯の治療、歯を抜く処置
- 入れ歯の製作・調整・修理
- 歯石の除去、歯周病の管理
- 口腔ケア(清掃、保湿、器具を使った清掃)
- 飲み込みの機能に関する評価や訓練の指導
持ち運べる機器で対応できる範囲に限られるため、大がかりな外科処置や、精密な検査を要する治療は医療機関での対応を勧められることがあります。どこまで対応できるかは訪問する歯科医院の設備によって差があるので、事前の相談が重要です。
訪問の合間の毎日のお手入れでは、うがいが難しい方の口の中をやさしく拭える口腔ケアスポンジがよく使われています。

対象になるのはどんな人か
ここが最も大事な部分です。歯科訪問診療で医療保険が使えるのは、在宅などで療養していて、通院が困難な方とされています。逆に言えば、通院できる方が「面倒だから来てほしい」という理由で頼んでも、保険の対象にはなりません。
「通院が困難」と判断されやすい状況
- 寝たきり、あるいはそれに近い状態である
- 要介護認定を受けており、外出に介助が必要
- 認知症があり、歯科医院での診療が難しい
- 脳血管疾患の後遺症などで移動に大きな制限がある
- 重い障害があり、通院の負担が大きい
年齢だけで決まるものではなく、あくまで通院できるかどうかで判断されます。判断に迷う場合は、依頼を検討している歯科医院やケアマネジャーに相談してみてください。
訪問できる範囲には距離の決まりがある
訪問先は、原則として歯科医院から半径16キロメートル以内とされています。患者側の希望でこの範囲を超えて訪問した場合、保険給付の対象外となります(16キロメートル以内に対応できる医療機関がないなど、特別な事情が認められる場合の取り扱いは別に定められています)。「近くの歯科医院に頼む」というのは、制度上も理にかなった動き方ということです。
訪問先として認められる場所
自宅のほか、特別養護老人ホームや介護老人保健施設、有料老人ホーム、グループホームといった施設も対象になります。施設の場合は、施設側が契約している歯科医院があることも多いため、まずは施設の相談員に確認するのが早道です。
費用はどう決まるのか
歯科訪問診療は医療保険が適用され、加入している保険と年齢に応じた自己負担割合で計算されます。
| 区分 | 窓口での自己負担割合 |
|---|---|
| 75歳以上(後期高齢者医療制度) | 原則1割(一定以上の所得がある方は2割、現役並み所得の方は3割) |
| 70〜74歳 | 原則2割(現役並み所得の方は3割) |
| 70歳未満 | 原則3割 |
通院より合計額は高くなる
治療そのものの点数に加えて、訪問診療に関わる項目が加算されます。そのため同じ処置でも、通院した場合より窓口での支払いは高くなるのが通常です。目安として、自己負担1割の方で1回あたり2,500〜3,000円程度と説明されることがありますが、処置の内容や訪問の形態によって変わります。金額は必ず依頼先に確認してください。
交通費を別途請求する医院もあります。保険外の実費として扱われるため、初回の相談時に「治療費以外にかかるものはありますか」と聞いておくと、後の行き違いを防げます。
介護保険が関わる部分
要介護・要支援の認定を受けている方の場合、口腔ケアの指導などは介護保険の「居宅療養管理指導」として提供されることがあります。この枠では、歯科医師によるものは月2回まで、歯科衛生士によるものは月4回までが利用の上限とされています。
医療保険で行う治療と、介護保険で行う管理指導は別の枠組みです。請求が2種類にわかれることがあるので、明細を受け取ったときに内訳を確認しておくと安心です。
高額療養費制度の対象になる場合
ひと月の医療費の自己負担が一定額を超えたときは、高額療養費制度によって払い戻しを受けられる場合があります。適用の基準は年齢や所得で異なるため、加入している健康保険の窓口に確認してください。

依頼から診療が始まるまでの流れ
1. 相談先を探す
訪問診療に対応している歯科医院を探します。以下のような窓口が入り口になります。
- これまで通っていたかかりつけの歯科医院に相談する
- 担当のケアマネジャー、施設の相談員に聞く
- 地域包括支援センターに問い合わせる
- 地域の歯科医師会や、口腔保健センターに相談する
- 厚生労働省の医療機関検索で、訪問診療の対応を確認する
かかりつけがあるなら、まずそこに聞くのが最短です。これまでの治療経過を把握している医院に来てもらえるメリットは大きいためです。
2. 電話で状況を伝える
本人の状態(要介護度、持病、服用中の薬、意思疎通の可否)、訪問先の住所、困っている内容を伝えます。服用中の薬は口の中の状態に影響することがあるため、お薬手帳を手元に用意しておくとスムーズです。
3. 初回訪問・診査と計画の説明
実際に訪問して口の中を確認し、どういう処置が必要か、何回くらいかかるかを説明してもらいます。ここで費用の見込みも確認しておきましょう。
4. 治療と定期的な管理
治療が済んだ後も、口腔内を清潔に保つための定期的な訪問に移行するのが一般的な流れです。
利用する前に知っておきたいこと
便利な仕組みではありますが、通院と同じようにはいかない部分もあります。あらかじめ理解しておくと、当日のギャップが減ります。
環境を整える必要がある
訪問診療では、ベッドサイドや居室で処置を行います。診療台のように角度を自由に変えられるわけではないため、姿勢の保持が難しい方の場合は処置に制約が出ることがあります。訪問の前に、機器を置くスペースと電源が使えるかを確認しておくとスムーズです。水道と電源が近くにあるかどうかは、事前に聞かれることが多い項目です。
治療期間は長くなりやすい
1回の訪問で使える時間や、持ち込める機器には限りがあります。入れ歯の製作のように工程が多い治療は、通院する場合より回数と期間がかかると考えておいたほうが現実的です。急いで仕上げたい事情があるときは、最初の相談で伝えておきましょう。
本人の同意と体調の確認
認知症などで口を開けることを強く拒む場合、無理に処置は行いません。まずは慣れてもらうところから始め、少しずつ進めるという方針を取る医院もあります。その日の体調によっては、予定していた処置を延期する判断がされることもあります。
施設に入っている場合の進め方
施設入所中の方は、施設側が協力歯科医院と契約していることがあります。その場合は施設経由で申し込む形になり、家族が直接手配する必要がないケースもあります。反対に、これまでのかかりつけに来てほしいという希望があるなら、施設が外部の歯科医院の訪問を受け入れているかを確認してください。施設ごとにルールが異なります。
訪問診療を装った勧誘や、必要以上の処置を繰り返す事業者の存在が指摘されることがあります。契約前に治療計画と費用の説明を書面で受け取り、納得できない点があればケアマネジャーや地域包括支援センターに相談してください。
日々の口腔ケアで用意しておきたいもの
訪問診療は月に数回のものなので、日常のケアは家族や介護スタッフが担うことになります。「口の中を触られるのを嫌がる」「うがいができないので水が使えない」といった場面で困る方は多いはずです。用意しておくと助かる道具を挙げます。
- 使い捨ての口腔ケアスポンジ(スポンジブラシ)…うがいが難しい方の清拭に使われます
- ヘッドが小さく毛のやわらかい歯ブラシ…開口が小さい方でも入りやすくなります
- 舌ブラシ…舌の汚れが気になるときに使われます
- 口腔用の保湿ジェル…口の中が乾きやすい方に用いられます
- 入れ歯用のブラシと洗浄剤(ポリデントやタフデントなどの入れ歯洗浄剤)
- 低刺激・ノンアルコールのマウスウォッシュ…刺激が苦手な方向け
どれを使うか、どう使うかは本人の状態によって変わります。訪問時に歯科衛生士から指導を受けられるので、そのときに手持ちの道具を見せて相談するのが確実です。

家族が気をつけて見ておきたいサイン
訪問診療は月に数回のため、日々の変化に最初に気づくのは一緒に過ごしている家族やスタッフです。次のような様子が見られたら、次回の訪問を待たずに相談してみてください。
- 食べる量が減った、食べるのに時間がかかるようになった
- やわらかいものばかり選ぶようになった
- 入れ歯を外したままにしている、外している時間が増えた
- 頬や歯茎が腫れている、口臭が急に強くなった
- 食事中にむせることが増えた
「入れ歯が合っていないので外している」という状態が長く続くと、口の中の形が変わって作り直しが必要になることがあります。本人が我慢して言わないケースも多いので、周囲からの働きかけが助けになります。
よくある質問
Q. 家族が代わりに申し込めますか
問題ありません。むしろ家族やケアマネジャーからの相談が入り口になるケースがほとんどです。本人の状態を説明できる方が連絡するとスムーズです。
Q. どのくらいの頻度で来てもらえますか
治療中は週1回程度、状態が落ち着いてからは月1〜2回といった形が一般的です。制度上の回数の上限があるため、詳細は依頼先に確認してください。
Q. 入れ歯を新しく作ってもらえますか
訪問診療でも入れ歯の製作は可能とされています。型取りから完成まで複数回の訪問が必要になるため、期間には余裕を見ておいてください。
Q. 一人暮らしでも頼めますか
通院が困難な状態であれば対象になります。ただし訪問時の立ち会いや鍵の受け渡しについて、事前に取り決めが必要になることがあります。
Q. 通院できる状態に戻ったらどうなりますか
通院が可能になれば、訪問診療の対象から外れ、通常の外来受診に切り替わります。状態の変化は、その都度伝えておきましょう。
Q. どの歯科医院でも訪問してもらえますか
訪問診療を行うには体制の整備が必要なため、対応していない医院もあります。まずは電話で「訪問診療をされていますか」と確認してください。
Q. 訪問の当日、家族は立ち会ったほうがいいですか
本人の状態を説明できる方がいると、診療の判断がしやすくなります。難しい場合は、事前に困っていることをメモにして渡しておく方法もあります。
Q. 医療費控除の対象になりますか
治療にかかった費用は対象となる場合があります。交通費や自費部分の扱いは条件によって異なるため、領収書を保管したうえで国税庁の案内を確認するか、税務署に問い合わせてください。
まとめ
歯科訪問診療は、在宅などで療養していて通院が難しい方を対象に、医療保険を使って受けられる仕組みです。訪問先は原則として歯科医院から半径16キロメートル以内とされており、費用は自己負担割合に応じて決まりますが、訪問に関わる加算が付くため通院より高くなるのが通常です。
要介護認定を受けている方は、口腔ケアの指導が介護保険の居宅療養管理指導として提供されることもあります。医療保険と介護保険が並行して動く場面があるので、明細の内訳は確認しておきましょう。
口の中の状態は、食べる力や全身の健康にも関わってきます。通院が難しくなったからといって歯科から遠ざかってしまう前に、まずはかかりつけやケアマネジャーに相談してみてください。制度や医療機関の情報は日本歯科医師会、訪問歯科の基本的な解説は日本訪問歯科協会、対応している医療機関の検索は厚生労働省の医療情報ネット(ナビイ)が参考になります。診療内容や費用の判断は、必ず担当の歯科医師に確認してください。


